「ここが痛くてどうすれば良いですか?」という無意味なネット相談に、僕が何百回でも答える理由

告知/雑記

「○○が痛いです。どうすればいいですか?」

こういうコメントやDMがたびたび届く。

僕は毎回、同じように答える。

「わかりません」と。

冷たいと思われるかもしれない。けど構わない。こう答えることが、お互いのためだから。

いまはスマホ一つで誰にでもなんでも聞ける便利な時代。

だからこそ全てがインスタントになりすぎている。

腰痛や肩コリや猫背や反り腰など身体に関する情報発信をしている人はたくさんいるし、僕もその一人だ。

身体が痛くてしんどい時に「どうしたらいい?」と聞きたくなる気持ちもわかる。

けれど個別具体的なお悩みについて、僕は「わからん」としか答えられない。

さっそく本筋から逸れるのだが、結構勘違いされている気がするので言明しておくと、僕の意見は僕の主観に基づく感想や経験則や一般論を話しているに過ぎなくて、具体的な誰かの話をしているわけではない。誰かの言葉や研究データなどを引用しているときは引用していると言うし書いている。というかネット上のほとんどの意見はコレである。

話を戻して、とにかく見ても会ってもいない相手のほぼゼロといえる情報から「答え」を渡すことはできない。

それは場合によって、お答えした相手のリスクになってしまうから。

僕は目の前にいる腰痛や坐骨神経痛に悩む方に対して、一つ一つのプログラム選定をかなり慎重に行っている。

理由は、最小限の努力で最大限の成果を出してもらうためでもあるが、その前に「リスクを回避してもらう」ことが重要と考えているからだ。

痛みは、慢性化するほど対処が難しくなる傾向にある。それには「中枢感作」といった神経のメカニズムが関係しているのだが、要は「脳は痛みを記憶してしまう」のだ。

(中枢感作:脳が痛みの感覚を学習し実際の組織損傷が治っても痛みが続いたり、わずかな刺激で痛みを感じてしまう状態)

慢性痛を克服するプロセスは、痛みの記憶を塗り替えるプロセスと言えるし、この文脈において、「痛みを強める行為」は痛み改善の妨げになる。理想は何かのアクションをするたびに「痛みがマシになっていく」状態であるし、そういうゲームとして取り組むものである。

しかし痛みに悩む人の多くは、こういったことを知らない。仕組みや考え方を学んでいない。

ゆえに「SNSで見た良いとされるストレッチ/エクササイズ」を痛みを我慢しながら無理やり行ったりする。

それで緊張を強めたり痛みを悪化させたりしては本末転倒だが、そういう自爆がよく起こる。

身体について学んでいないと良かれと思って慢性痛を促進してしまうのである。

だから知らん人にカジュアルに「こうすれば良いですよ」なんてとてもじゃないが言えない、ということがまずある。

結果の方程式は、「方向×努力」だ。

正しい方向に向かって努力すれば、良い結果が得られる。方向が違えば、努力は報われない。方向がわかっていても、走らなきゃ結果は出ない。

このうちの「方向」について。

やり方なんて無限にある。身体に関する行動は無限にある。

無限の中から方向を見定めるには、「分析」が欠かせない。

・どんな質の痛みか(ズキズキするのか、重だるいのか)

・熱を持っているか、いつから痛いのか

・普段どんな姿勢で、どんな体の癖があるのか

ほかにもたくさんあるが、アプローチをする前にざっと分析して情報を得るからこそ方向が見える。「これをやりましょう」というプログラム立案ができる。

無限の選択肢の中から、23に絞ったエクササイズやケアを伝え、自宅でも続けてもらい、結果を出している。それは、「分析」しているから出来ることだ。

みたいな話をキュッとして「同じ腰痛でも一人ひとりの課題は異なるし、何にせよ分析ありきだし、見ないことにはわかりません」と何度も伝えている。昔から何百回と答えている。

けどそんなことはわざわざ言わなくたって、大体の人がわかっている。

それでもあえて毎度「わからん」「見ずに言えることはない」と言っているのは、じつは自分のためでもある。

魔法の治療なんて存在しないし、コツコツ向き合うことでしかカラダは変わらないなんて、みんなうっすら気づいている。

その潜在的な気づきに「その通りですよ」と伝えている。

ハッキリいうが、「良くならない理由」の78割は、「継続できないから」だ。

もちろん「方向」も重要だが、それは量をこなせば見えてくる。血の滲む努力を諦めずに続けていれば、時間の問題で巡り会える。「声」の皆さんも何十軒と色んな院に通って、手術も受けて、それでも芳しくなくてここに来ている。

そういう巡り合わせも向き合ったから発生しているし、向き合わなければ発生しない。

その意味も含め「あなたに必要なのは“やり方”じゃないですよ、“向き合うこと”ですよ」というスタンスを何度も繰り返し表明すると、それに共鳴した人だけが集まる。

この状況が僕にとって重要なのだ。

人を変えられるとか変えようだなんて微塵も思っていなくて、ただ自分と同じ感覚をもつ人と接してWin-Winの関係を築くことが僕にとって重要で、だから同じ話を何回もしている。

それにこれから社会の地獄は拡がっていく。そこからなるべく距離をとりたい、ということにも繋がる。

事実として、慢性痛の影響は「今だけ」のものではなく、むしろ人生後半のリスクに直結する。

・若い頃に腰痛歴があると、将来も腰痛を繰り返しやすい(Eur Spine J, 2003

・若年層の腰痛持ちは、要介護になるリスクが1.3倍以上(国立保健医療科学院)

・高齢者で腰痛がある人は、転倒•寝たきりリスクが高い(JAGS, 2018

痛みを抱える人は「要介護予備軍」である。

そして、彼ら彼女らの受け皿「介護業界」は、崩壊へ向かっている。

今まで通りのペースで人が要介護化するだけで社会が壊れる、そういうフェーズに突入するのだ。

2040年には65歳以上が人口の約4割(内閣府)

2050年には介護難民が約400万人に(厚労省の楽観的予測)

・介護業界の人材不足は深刻化(介護職員は毎年3.2万人ずつ増える必要があるが令和5年は2.9万人減、6年は487人増)

・施設の虐待件数は令和5年までの過去17年間で20倍増(厚労省)

介護の担い手=生産年齢人口自体が減っているため、「勤め人の介護離職」がこれから当たり前になる。すると生産性は低下し、経済はさらに打撃を受け、人々は困窮し、あらゆるセクションにおける事件や事故が増えていく。

今から1020年と経ったときに、防げる痛みを防げなかった人々が、限られた資源を奪い合う社会になるだろう。

治安は悪化し、人間関係のトラブルは増える。

他人任せにできない自衛の時代は、すでに始まっているのだ。

そんな中で、いま我々が目指すべきは、「その場しのぎからの卒業」である。

痛みを「当たり前」にすることをやめ、対症療法で先送りし続けることをやめ、身体を学び、身体と向き合い続けること。

正直、次元は低い。けどここから抜本的に意識を変える必要がある。

それをせめて、自分の目につく範囲にいる人だけにでも伝えていきたい。その意識を持った人で周りを固めておきたい。

よほど意識の高い人じゃないと、この先の社会を安全に生きていくことすら難しいと思う。

5年前、病院を辞めて独立した。その結果、いま僕の元に通ってくださる方は、皆同じ感覚を共有できる方々ばかりになった。

SNSで「腰が痛いのですがどうしたらいいですか?」「誰か教えてください」みたいなことを言う人はいない。人の種類が違う。

皆さん忙しい中でも学び、思考し、コツコツ向き合っている。だからこそ圧倒的な結果が出せる。

痛みを放置し、身体に無関心なまま歳を重ね、他者に依存し、攻撃的になり、不機嫌を撒き散らす。そんな人が近くにいる社会では、僕は幸せに暮らせない。

だから、僕はこれからも「わかりません」と答え続ける。安易な寄り添いは誰のためにもならないし、本気で自分を守ろうとする人と僕は手を取り合いたい。

それが、僕なりの誠実さであり、最大の自衛でもある。

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