時代によって様々な「健康法」が流行ってきた。
僕が生まれる前はエアロビ、バブル崩壊後のストレス社会にはヨガ、平成から令和へ移り変わる2010年代はHIIT、藤井風が大衆化する2020年代はピラティス――
アクティブとリラックスが行ったり来たりしている。まじで節操がない。
健やかに生きる上で自分の身体に意識を向けることは大事。それは前提として、あえて冷や水をぶっかけるようなことを言うと、流行りの健康法を追うと健康にはなれない。むしろ遠ざかる。
普遍的で長期的で個人的な「健康」と、移ろいやすく短期的で集団的な「流行」。
そもそも性質が真逆。
流行りの健康法、新しい健康法―その言葉自体に矛盾を感じる。流行っているということは不健康と言っても過言ではないかもしれない。
健康というのは、とても地味で、重心が低く、のんびりとしたもの。
昨今のふわふわキラキラした刹那的な「健康法」には違和感というか危機感を覚える。
インターネット以後、SNSと資本主義が悪魔合体し、今や医療業界すらなんでもあり。美容領域や痛み領域は特に酷い。見てられない。
たった10秒コレをやるだけで〜腰の痛みが消える!顔に溜まった毒が消える!じゃねえよ笑
「おれの考えた必殺技」をみんな一所懸命に披露している。
そして中には、命に関わるような「笑えない系」もある。
やれエクソソームだ、頸椎スラストだ、なんちゃら点滴だ、注射だ、サプリだ、ダイエットだ…インフルエンサーやインフルエンサーもどきの素人が、盛んに美容法や健康法を喧伝する。
「若年女性の痩せ」「低出生体重児」割合は近年増えており、いずれも日本が先進国中で最も高い。
これは数十年後の医療費増大につながるだろう。しかし影響を与えた側も受けた側もそんなツマラン正論は知らないし、興味もない。責任の所在もない。強いて言えば、同調圧力のせい。
「みんなの顔色」が僕らの神様。神が痩せを是とするから痩せる。自粛やマスクを求めれば従う。それ以上でも以下でもない。とても不健康な国民性。だからこそキラキラふわふわとした健康法が流行る。
健康市場はここ10年で10兆拡大した。高齢化に伴い今後もっと拡がる。必然的に「賊」の参入は増える。間違いなく。
「骨音」をリールで流す整体師
肩ボトで首が座らなくなった女の子
御検体の前で嬉々として自撮りする医師
彼ら彼女らが更なるカオスの到来を予感させる。「提供側」がなりふり構わなくなっていて、いよいよ極まってきている感がある。
元来日本には「その場しのぎ」が根付いており、日本人はカジュアルな治療に慣れている。
他国に比してヘルスリテラシーが低いとも言われるけれど、治療費が莫大なアメリカなどと違って予防のインセンティブも少ないし、ある意味仕方ない。水は低きに流れる。
問題が起きたら治してもらい、また起きたら治してもらう。ニーズは“即効性”にあるからこそ“先送り装置”は溢れる。ハリボテのその場しのぎに思考は要らない。投与すれば良いし、揉めば良い。
提供者はこれらを熟知し、ビジネスに用いる。国が老化し需要は増える。だからまずい。
人類が今とほぼ同じ脳や身体を手にしたのは、およそ20〜30万年前。そこから人間の機能は大きく変わってない。今後も変わらない。健康法も変わらない。
人体は「過不足」を受け入れられるようにはないし、一朝一夕に変わるようにはならない。
即効性を求めた人、急激な変化を求めた人、流行りを追った人、過度なダイエット・食事制限・運動など“極端なこと”をした人は、みんな不健康になった。
いわゆる「一無・二少・三多」
健康にこれ以外のルールはない。
無煙(禁煙)、少食・少酒、多動・多休・多接
これら要素を明確に否定する説得力のある研究は、今日においても無い。無いどころか年々強化されている。痛みや病を防ぐ、美を保つ、削ぎ落とされた習慣。地に足をつけた普遍的で長期的な取り組み。逆にシンプルで良いし、これを無視した「健康法」はすべて茶番だ。
健康に飛び級はない。流行りの健康法を追うと、健康にはなれない。


