【論文まとめ】歩行時における大腰筋の作用

1. 筋電図から見た大腰筋の活動レベルとタイミング

歩行周期における大腰筋(腸腰筋)の筋活動は、主に後期立脚期から初期~中期遊脚期にかけて現れ、脚を前方に振り出す働きを担います。具体的には、つま先離地(トゥーオフ)直前の立脚終期から大腰筋の放電が始まり、股関節屈曲のモーメントを発生させて遊脚相への移行を促します。この遊脚初期の筋活動により下肢を前方へ引き上げ、適切な歩幅(ステップ長)を確保します。大腰筋は歩行のスイング位相を開始する上で中心的役割を果たし、歩幅の制御にも寄与するとされています。一方、通常の立脚期中盤までは大腰筋の活動は低く、重心支持や推進にはあまり関与しません。

筋電図(EMG)研究では、大腰筋を含む腸腰筋は明確な相関的パターンで活動することが示されています。ファインワイヤー電極による計測によれば、歩行速度を上げても基本的な活動パターン(活動期の数自体)は変わらないものの、歩行速度の増加に伴って大腰筋の活動開始タイミングが徐々に早期化することが報告されています。例えば、ゆっくりした歩行では遊脚直前に活動が始まる大腰筋が、速歩になるとさらに前(立脚後半)から発火し始めます。また歩行から走行へ移行するとき、大腰筋(および腸骨筋)の筋活動振幅は大きく増大し、特に速度が時速2 m/s(約7.2 km/h)を超えるランニングでは顕著な活動量の増加が観察されます。これは走行時には遊脚相で脚を力強く振り出す必要があり、大腰筋の動員が格段に高まるためです。

さらに、歩行条件の変化による筋活動の違いも報告されています。一定速度での歩行でも歩幅を伸ばす場合には、遊脚終期(ターミナルスイング)における大腰筋の活動が大きく増強し、股関節屈曲角度と骨盤前傾が増大することが示されています。これは歩幅延長のために遊脚終わりまで大腰筋が積極的に働き、脚を前方遠くに送り出していることを示唆します。一方、歩調を速めて小刻みな歩行をした場合、立脚期における大腰筋の活動が平常時より高まるとの報告もあります。歩調の速い歩行ではステップサイクル自体が速くなるため、遊脚への素早い移行を助ける目的で立脚後期から大腰筋が早めに働き始めると考えられます。

参考文献例(筋電図による大腰筋活動):

| 論文タイトル (発行年) | 主な結果・知見(筋電図データより) |
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| Andersson et al., Intramuscular EMG from the hip flexor muscles during human locomotion (1997) | 大腰筋を含む5筋の細線筋電図を解析。遊脚への移行期に大腰筋の活動期が現れ、歩行速度が上がるにつれ活動開始がより早期化。歩行から走行(> 2.0 m/s)への移行で大腰筋の活動振幅が著増することを報告。 |
| Jiroumaru et al., Hip Flexor Muscle Activation Across Gait Phases… (2025) | 健常者で歩幅と歩調を変化させた実験。長い歩幅では遊脚終期の腸腰筋活動が増大し、一方高い歩調では立脚期から腸腰筋活動が高まることを示した。腸腰筋は歩幅延長および高頻度歩行での相対的役割が変化し、ステップ長延長や素早い遊脚開始に関与。 |

2. 大腰筋のバイオメカニクス上の役割(股関節屈曲・体幹安定)

大腰筋は股関節屈曲の主働筋として機能すると同時に、腰椎に付着する独特の解剖学的構造から体幹・骨盤の安定にも寄与する筋肉です。大腰筋と腸骨筋(総称して腸腰筋)は股関節をまたいで大腿骨を引き上げる強力な屈筋であり、歩行において下肢を前方へ振り出す主要エンジンとなります。特に地面から足が離れた直後の遊脚初期には、大腰筋の収縮が股関節を力強く屈曲させ、歩幅と歩調の調整に寄与します。大腰筋の収縮力は歩行時のステップ長の調整にも関与しており、筋活動の強弱によって歩幅を大きく取るか小さく抑えるかが部分的に制御されています。

加えて、大腰筋は第1~第4腰椎の横突起および椎体から起始し骨盤・大腿骨に付着するため、体幹と下肢をつなぐ深部筋として腰椎・骨盤の位置制御にも重要な役割を果たします。具体的には、大腰筋が収縮すると腰椎前弯を保持・増強する方向に作用し、骨盤の前傾角度にも影響を及ぼします。この作用により、上半身の姿勢維持や衝撃吸収に寄与し、歩行や立位での体幹安定性を高めます。実際、腰痛患者を対象としたMRI研究では「大腰筋は脊柱の安定化に極めて重要な筋である」と報告されており、体幹支持筋としての役割が強調されています。

静的・動的姿勢のバイオメカニクスにおいても大腰筋の寄与は確認されています。座位で骨盤を前傾し腰椎を前弯させた姿勢では、大腰筋・腸骨筋と脊柱起立筋群が協調して収縮し、上半身が前方に倒れないよう支持することが観察されています。この協調収縮により、骨盤と腰椎を所定の位置に保持し、姿勢を安定化させる機能が確認できます。また大腰筋は片脚立ちや歩行時に微細に働き、骨盤の左右傾斜や過度の回旋を抑制する役割もあると考えられています。つまり、大腰筋は単なる股関節屈筋に留まらず、身体コアの一部として脊柱-骨盤帯の安定性維持に貢献する筋肉といえます。

参考文献例(大腰筋のバイオメカニクス的役割):

| 論文タイトル (発行年) | 主な結果・知見(バイオメカニクス上の役割) |
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| Andersson et al., The role of the psoas and iliacus muscles for stability and movement… (1995) | 座位前傾姿勢では大腰筋・腸骨筋・脊柱起立筋が協調収縮し、体幹と骨盤を安定化させることを報告。大腰筋は姿勢保持と腰椎・骨盤の動きの制御に重要。 |
| Giliberto et al., The importance of psoas muscle on low back pain: a MRI study (2022) | 腰痛患者のMRI解析より、大腰筋は脊柱安定に極めて重要であり、大腰筋筋量が多いほど痛みが軽減する傾向を発見。 |

3. 加齢による大腰筋の変化と歩行への影響

加齢に伴う筋萎縮や筋力低下は、大腰筋にも顕著に現れ、それが高齢者の歩行能力に影響を及ぼします。一般に、年齢を重ねると全身の筋力・柔軟性・バランス能力が低下し、その結果として歩行速度の低下、歩幅(ステップ長)の短縮、歩行リズムの変化(歩調の増加)、歩隔の拡大などの歩行パターンの変化が生じます。大腰筋は股関節屈曲筋力や下肢の振り出し能力に直結するため、その萎縮・弱化は高齢者で顕著な歩幅短縮の一因となります。実際、高齢者は若年者に比べて歩幅を十分に伸ばせない代わりに、歩調(ステップ頻度)を上げて同じ歩行速度を維持しようとする傾向があります。この戦略は筋力低下状況下で動的安定性を保つための代償と考えられますが、歩幅が狭く小刻みな歩行は転倒リスク増加にもつながります。

大腰筋自体の筋量・筋力の加齢変化に関して、画像研究や解剖学的研究からいくつかの知見が得られています。CTやMRIで体幹筋を評価する指標として大腰筋断面積が用いられることがありますが、高齢になるほどその断面積(筋肉量)は減少する傾向が報告されています。例えば、ある研究では身長で補正した両側大腰筋の断面積指数(Psoas Index)が年齢とともに有意に低下することが示されており、図表上でも加齢との負の相関関係が確認されています。このような筋量減少(サルコペニア)は下肢筋のみならず体幹筋にも及び、歩行能力低下や転倒リスク増大の一因となります。

加齢による大腰筋の質的変化(脂肪浸潤や筋繊維組成の変化)も指摘されています。高齢者では大腰筋に脂肪が混入し筋力発揮効率が下がる可能性があり、それが姿勢保持や歩行時の安定性低下に結びつく恐れがあります。また、高齢女性を対象とした研究では、日常活動量の低下に伴い大腰筋を含む下肢・体幹筋群の萎縮が進行し、それがさらに活動量低下を招くという悪循環も報告されています。このように、大腰筋の萎縮・弱化は高齢者の歩行能力低下の重要な要因であり、筋力維持トレーニングや可動域維持が高齢者の歩行自立度を保つ上で重要といえます。

参考文献例(加齢による大腰筋の変化と歩行への影響):

| 論文タイトル (発行年) | 主な結果・知見(加齢と大腰筋・歩行) |
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| Aboutorabi et al., The effect of aging on gait parameters… (2016) | 高齢者では筋力低下により歩行速度低下、歩幅短縮、歩調増加がみられ、動的バランス低下と転倒リスク増大に関連するとまとめた。 |
| Lee & Kang, Correlation between Psoas Muscle Index and Degeneration of Spinal Back Muscle… (2021) | 大腰筋指数が低いほど脊柱起立筋・多裂筋の機能的筋量が減少・脂肪化する関連を報告。 |
| Judge et al., Step length reductions in advanced age: the role of ankle and hip kinetics (1996) | 足関節・股関節の筋力低下が歩幅短縮に寄与し、大腰筋を含む屈筋群の弱化がステップ長を制限する一因と示唆。 |

4. 疾患との関連(腰痛・脊椎疾患・変形性股関節症など)

腰痛や脊椎疾患では大腰筋の状態および機能が密接に関連します。腰椎に付着する大腰筋は腰部の安定化筋として重要であり、慢性的な腰痛患者では大腰筋の筋量低下や筋活動パターンの変化が報告されています。MRIを用いた研究では、大腰筋の純筋断面積が大きいほど自覚痛(VASスコア)が低い傾向が示されました。つまり、大腰筋がしっかりしている(筋量が多い)患者ほど腰痛症状が軽減されており、大腰筋の萎縮は腰痛悪化と関連する可能性が示唆されます。これは大腰筋が脊柱を支持・安定化させることで腰部への負担を減らし、痛み緩和に寄与している可能性があります。また、慢性腰痛患者では健常者と比べて大腰筋の一部線維が適切に動員されず、他の筋との活動分担が乱れる筋活動再配分が起きているとの報告もあります。

脊椎変性疾患との関連では、大腰筋は全身的な筋萎縮(サルコペニア)の一指標として注目されています。例えば腰椎疾患を有する高齢患者を対象に、腰部MRIで大腰筋の断面積指数(Psoas Index)を計測した研究では、大腰筋指数が低い(筋肉量が少ない)患者ほど脊柱起立筋・多裂筋の萎縮および脂肪変性が進行していることが明らかになりました。これは、椎間板変性そのものよりも全身的な筋肉の衰え(大腰筋萎縮)が脊柱支持筋群の衰退と関係していることを示唆しています。臨床的には、腰部脊柱管狭窄症や変性側弯症の患者で大腰筋の筋量低下が著しいケースも報告されており、これが歩行耐久力の低下や姿勢異常に関与している可能性があります。大腰筋の強化や萎縮予防はこうした患者のリハビリにおいて重要です。

変形性股関節症(OA)でも大腰筋の機能変化や他筋との協調が注目されています。股関節OA患者は痛みや関節可動域制限により正常な筋活動パターンが崩れがちです。研究によれば、股関節OA患者では腸腰筋(大腰筋)や大腿直筋などの股関節屈筋群の歩行時の貢献度が健常者に比べ低下し、身体重心の前方加速への寄与が小さくなることが示されています。これは痛みや可動域制限により、これら筋が十分に力を発揮・活用できない可能性を示します。また、軽度~中等度のOA患者は股関節周囲筋の同時収縮レベルが上昇するとの報告もあり、関節不安定性を補うための筋協調戦略が生じていると考えられます。

人工股関節全置換術後では、大腰筋腱が人工関節に擦れて腸腰筋インピンジメントを生じる例も報告されています。このように大腰筋と股関節疾患との関連は多面的であり、筋そのものの状態(萎縮や緊張)だけでなく、他筋との協調や骨との位置関係など広く考慮する必要があります。

参考文献例(疾患と大腰筋の関連):

| 論文タイトル (発行年) | 主な結果・知見 |
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| Giliberto et al., Importance of psoas muscle on low back pain (2022) | 大腰筋の筋面積が大きいほど腰痛VASが低い。 |
| Lee & Kang, Psoas Index and Degeneration of Back Muscle in Back Pain (2021) | 大腰筋指数低下は脊柱支持筋の萎縮・脂肪変性と強く相関。 |
| Fukumoto et al., Individuals with hip osteoarthritis walk with altered muscle contributions (2023) | OA患者は腸腰筋・大腿直筋による前方推進力寄与が低下。 |

5. スポーツパフォーマンスにおける大腰筋の貢献(走行・ジャンプなど)

大腰筋はスポーツにおける爆発的下肢運動を支える重要筋で、特に短距離走やジャンプ動作で大きな役割を果たします。走行時には遊脚相で膝を素早く引き上げる(ニーリフト)動作が要求され、腸腰筋の迅速な収縮が不可欠です。大腰筋が十分に発達すると、太ももを力強くかつ高速に振り出すことが可能となり、歩幅とピッチの最適化によってスプリントパフォーマンスが向上します。

トレーニング研究でも、大腰筋を含む股関節屈筋群の強化がスポーツパフォーマンスに寄与することが示されています。8週間の股関節屈曲筋トレーニングで股関節屈曲筋力が約12 %向上し、40ヤードダッシュが3.8 %短縮したとの報告があります。同様に、方向転換を含むシャトルランでも9 %改善がみられました。大腰筋の強さはスタートダッシュや加速局面での膝の素早い引き上げと地面への推進力発揮に直結するため、短距離走のみならずサッカーやバスケットボールのようなダッシュ&ジャンプ動作の多い競技でも重要です。

ジャンプ種目では、大腰筋が空中局面で脚を引きつけたり着地後に素早く脚を振り出す動きに関与します。大腰筋の柔軟性と筋力を向上させることでストライド頻度や脚の振り上げ速度が改善されると期待されています。

参考文献例(スポーツパフォーマンスと大腰筋):

| 論文タイトル (発行年) | 主な結果・知見 |
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| Deane et al., Effects of hip flexor training on sprint, shuttle run, and vertical jump performance (2005) | 8週間のトレーニングで股関節屈曲筋力+12.2 %、40 yd走−3.8 %、シャトルラン−9.0 %。 |
| Okada et al., Relationship between 30-m Sprint Time and Psoas Major CSA in Runners (2011) | 股関節周囲筋の発達度合いがスプリント能力に影響。 |
| Chollet et al., Hip Flexor Strength and Sprint Performance in Soccer Players (2020) | 腸腰筋出力が高い選手ほどスプリント成績が良好。 |

6. 他の股関節屈筋との比較(活動レベル・働きの違い)

股関節屈筋には大腰筋以外に腸骨筋、大腿直筋、縫工筋、TFLなどがあり、解剖学的位置や二関節筋か否かで働きが異なります。大腿直筋は膝伸展も担うため立脚末期~遊脚初期に膝過度屈曲を抑制しつつ股関節を屈曲します。一方、大腰筋は歩幅を大きく取る局面で遊脚終期まで強く働き、ステップ長延長に寄与します。

角度依存性の研究では、股関節屈曲角0–60°では大腿直筋が約2/3のトルクを担いますが、60°超では大腰筋の寄与が急増。さらに一定の収縮速度条件下で大腰筋は大腿直筋の2.5–3倍の速さで股関節を屈曲させる能力を示しました。すなわち、大腰筋は「素早い屈曲」、大腿直筋は「強い屈曲」を得意とする機能的差異が提唱されています。

縫工筋やTFLは股関節屈曲に加え別方向への制御や補助を担い、高歩調時に協調して下肢を振り出す動きを助けます。各筋のタイミングと目的が異なることで滑らかな歩行・走行が成立しています。

7. 大腰筋が働かない/弱化した場合の影響と代償運動

大腰筋が神経障害や著しい筋力低下で機能しない場合、遊脚期に股関節屈曲が不十分となり、足先が引っかかりやすいスティッフニー歩行が出現します。健常者の腸腰筋を一時的に弱化させた実験では、遊脚期の膝最大屈曲角が55°→44°へ低下し、股関節屈曲速度も低下。腸腰筋の弱化が歩行パターンを直ちに乱すことが確認されています。

代償として骨盤挙上や脚のサーカムダクション、体幹後方リーンが生じます。たとえば遊脚脚を前に出すために骨盤を挙上し、脚を外側に回しながら振り出す骨盤持ち上げ(ヒップハイク)動作が典型です。体幹後方リーンでは上体を後ろに倒し、股関節屈曲を相対的に担保します。これら代償はエネルギー効率が悪く、長期的には他関節への負担増を招きうるため、リハビリでは大腰筋の筋力強化と適切な運動パターン再学習が重要です。

参考文献例(大腰筋不全時の影響・代償):

| 論文タイトル (発行年) | 主な結果・知見 |
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| Akalan et al., Weakening iliopsoas muscle in healthy adults may induce stiff knee pattern (2016) | 腸腰筋力低下で膝屈曲角減少・スティッフニー歩行出現を実証。 |
| Physiopedia, Gait Deviations – Circumduction of the hip | 股関節屈筋弱化で足先クリアランス不足→サーカムダクション歩行が生じると解説。 |
| Nene et al., Hip abduction is not a compensation for reduced knee flexion in swing (2007) | 股関節外転は膝屈曲不足を十分補えない場合があると報告。 |

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