1年続く腰痛を『文通』で改善してみた

腰痛

 

先日、ある動画に切迫感溢れるコメントがつきました。
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反っても痛いし 捻っても痛いし 前に屈んでも痛いし 重たい物を持っても痛いし 立ちっぱなしでも、座りっぱなしでも痛いです。 レントゲンとmriでは、 腰椎分離すべり症とヘルニアと診断されましたが、 ペインクリニックでは、痛みの原因は腰椎分離症と思うと言われました。足の痺れなどがないから。 どうすれば改善するのでしょうか。。。 現在は毎日水中ウォーキングと少し泳いでいます

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痛みが出て1年経ち、試行錯誤するもなかなか思うように改善しない―とのことで、「なんでもします」という発言からもご本人にとって相当重大な問題であることが伺えます。

ただ僕にとって、こういった相談を受けることは日常です。

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こちらの方にもある質問をして、1ラリー目で「問題ないな」と確信しました。

腰痛や肩コリや坐骨神経痛など「カラダの痛み」の治療はその場しのぎ(=治療しても治らない)がむしろ当たり前であり、“本当の意味で”治すには、まず治療院を「選び、探し当てる」必要がある―そんな歪な状況は、僕がこの業界に入る前から(そして恐らくこれからも)変わりません。

だからこそ彼はたまたま見つけたであろう動画に、真摯な態度で、藁をも縋る思いで、丁寧なメッセージを下さったのだと思います。なのでこちらも出来る限り丁寧にアドバイスしました。(わきまえのある方には優しくします)

それから10日経過し、再度メッセージが届きました。そこでいまの状況きくと

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ありがとうございます。痛みはだいぶ減っていますが、同時に色々試している為、何で効果が出ているかは、はっきりわかりません。 しかし、たくさんのアドバイスを頂いた結果、効果が出ていることは間違いなく、大変感謝しております。ありがとうございます。 また、わかりやすく優しいアドバイスをきっかけに理解が深まり、身体の奥深さと楽しさを知れていることにも感謝しています。

とりあえず「痛みはだいぶ減っている」とのことで安心しました。彼の1年の取り組みで改善しなかった痛みは、この10日で「間違いなく」変わったのです。

「変わった」要因として考えられることはいくつかあります。一つはたまたまアドバイスの方向性があっていたことです。適したケアやエクササイズによって疼痛の減弱など良い変化が起こることはあります。それは対面であろうと非対面であろうとトレーナーがいようとセルフであろうと。

逆に言うと1年もの取り組みで変わらなかったのは、もしかしたら彼の受けた治療が冒頭で触れたような形骸的な(言葉を選ばずいえば“まとはずれ”な)治療であり、治る症状だけれど治らない状況にあったのかもしれません。

もう一つの変わった要因は、彼が“やりたい”人ではなく“やる”人であったことです。

やりたい人とやる人は違います。

やりたい人‥願望が弱い、他責思考、拗ねている、実際はやらない、目標達成できない

やる人‥願望が強い、自責思考、素直、実際にやる、目標達成できる

方向性が合っていて“やる人”でさえあれば、たとえセルフでもカラダは変えられます。

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やるひと×正しい方向=良い変化

疼痛改善/姿勢改善は一朝一夕に叶うことではありません。かならず中長期的な取り組みになります。また「正しい方向」めいたものも、ある程度やってみることで少しずつ見えてきます。

だからこそまず第一に「やる」人になることが重要です。

「やり切る」と思えるかどうかが結果を左右します。

カラダづくりもリハビリも正しい方向性×やる人でなければ、だらだらと何年も続けても良い結果は出ません。

が、正しい方向とやる人が組み合わされば、たった10日でしかも伝達手段が文章でも良い結果が出ることはあります。

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こちらはまた別の方ですが、やればなにかは変わります。やらなければ土俵にすら乗れません。

自分のカラダが変わった時、一番の功労者は誰か?は言うまでもなく「自分」です。トレーナーやセラピストや先生ではありません。これはわるい意味でも同じです。

受動的・他責思考な限り痛みの根治はできません。その場しのぎが限界です

またそもそも論として、見通しもなにも示さず流れ作業的にマッサージをして湿布や薬を処方する「治療者」は、本気であなたが良くなると思っているのでしょうか?

(保険が効き安くてラクな)治らない治療に文句を言う人はいますが、それはなぜなくならないのでしょうか?一体だれが「治らない治療」を買い支えているのでしょうか?

マジメでお人好しな国民性を有する日本人は、人的資源が豊富な時代において、誰しもが容易に治療を受けられる制度をつくりました。そしてその副次的結果として“他者への依存心が強くなり過ぎた”人々を産みだしました。

これまでは「支え合い」「お互い様」などと綺麗事を並べ、見て見ぬフリできたのかもしれません。が、これからそうはいきません。とうに限界はきており着々と“地獄”が拡がっています。

2021年度の障害福祉サービスの職員による虐待についての相談・通報は3208件にのぼった。前年度より343件増加し、過去最多となっている。

このうち、虐待の事実が認められたのは699件。5年前(401件)の約1.7倍に増え、こちらも最多を更新している。

 効率化や経費削減のため、食事は一定量、お尻が汚物で汚れていても、今日はお風呂の日じゃないからと清拭のみで洗わない。介護職員がそんな対応に罪悪感を抱いても、会社の方針には逆らえません。その結果、お金のための作業と割り切って心を無にして働く職員も増えているように感じます。むしろそうやって心を殺して働かなければ、自分の心を守れないという現実もある。さらにコロナ禍で面会謝絶が進み、外部との交流の機会がなくなったことで職員が問題意識を持つきっかけすら失われつつある。介護現場のモラル低下、倫理観のマヒはここ数年でより顕著になっていると感じます

介護している妻の首を絞めて殺害したとして、警視庁成城署は3日、殺人の疑いで、東京都世田谷区、無職吉田友貞容疑者(80)を逮捕した。「暴れて手に負えなくなった。もうだめだと思って殺した」と容疑を認めている。
逮捕容疑では1日夜ごろ、自宅で妻の節子さん(85)の首を電気コードで絞めて殺害したとされる。

2016年7月26日未明に相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた大量殺傷事件。入所者19人を殺害、26人に重軽傷を負わせた植松聖(事件当時26)は、同施設に3年以上勤務した元職員だった。植松は犯行動機について「意思疎通のとれない障害者は安楽死させるべきだ」「重度・重複障害者を養うには莫大なお金と時間が奪われる」などの自説を展開し、世間に衝撃を与えた。

 

上掲のような凄惨な事件・事故も、残念ながらますます増えていくでしょう。

マンパワーに依拠したサービスをいまのクオリティで保つことが(人口動態的に)100%不可能なのは火を見るより明らかであり、それこそ心を殺して働かなければ自分の心を守れない―そんな状況が、介護はもちろん他の業界のスタンダードになっていくと思われるからです。

 

 

20年後、私たちの住む日本は1学年80万人世代が1学年180万人世代を支える時代に突入します。

「将来は施設に入るし、老後に備えて貯金をしておこう」?いったいなぜ施設があり介護士がいる前提なのでしょう。

多くの人にとって介護士はもう居ません。身体や脳が言うことを聞かなくなっても、いくらお金があっても、無い施設に入所はできないし、居ない介護士の介護は受けられません。

結果的に街は介護難民で溢れ、糞尿を垂れ流しながら徘徊する高齢者との遭遇は私たちの日常になります。コレは確定している未来です。

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年代別人口に占める要介護認定者の割合は、80~84歳では25.8%、85歳以上では59.8%
-生命保険文化センターHPより
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2050年の孫は「家なき子」 住宅、建てるも直すも難しく https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD0845F0Y3A101C2000000/より引用

数年~十数年後の日本⇩

壊れた道路や水道や電気が治らない
ゴミが放置され悪臭まみれ
Amazonで物を頼んでも届かない
スーパーや飲食店は従業員不足で休業・閉店
電車やバスの本数が減る
医療・介護サービスがない
街は認知症の徘徊老人だらけ


自分のカラダの責任を「他人任せ」にして生きていくリスクは年々増大していく
からこそ

彼のような「やる人」になる

自分の面倒を自分でみる(実際にそうはいかなくともその気概さえをもつ)

そんな、今この瞬間からできる常日頃の「心持ち」がより一層、重要になると思います。

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“責任”を会ったことすらない他人に(ましてやしょうもないSNSで)委ねてしまえる他責人間は厳しい “その場しのぎ的な治療”がなくならないのも納得感がある

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改善の要因は覚悟。ノウハウではない

Hard times create strong men,
strong men create good times,
good times create weak men,
and weak men create hard times.

困難な時代は、強い人間を作り、
強い人間は、良い時代を作り、
良い時代は、弱い人間を作り、
弱い人間は、困難な時代を作る。

海外の諺より

本質的には肩こりも腰痛も坐骨神経痛も“治してもらう”ものではありません。

他力本願な時点で先延ばししかできず、それでは寝たきり街道まっしぐらです。そして寝たきりになった頃、あなたの面倒をみてくれる人は物理的にあまり居ません。

強調しますが、あなたの治療の“主体”は“あなた”です。トレーナーやセラピストや先生はあくまで“伴走者”でしかありません。

問答無用の自己責任が突き付けられる困難な時代において、個人的には彼のような「やる人」が多数派になれば‥という方向性にのみ希望を見出しています。

 

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